4/9 天童市

# 新庄14:19→天童15:07 (JR・普通列車山形行き)
# Shinjo 14:19 ~ Tendo 15:07 (JR, local train, bound for Yamagata)

Shinjo Station and local train
新庄で山形行きの普通列車に乗り換え。2両編成のワンマン列車。新庄駅は改札口から平面で各路線の列車に乗車できるが、横手・酒田・鳴子温泉方面へ行く場合は、列車の行き先をよく確認しておく必要がある。


Minami-Shinjo Station
新庄駅を出た列車は陸羽東線と併走し、陸羽東線南新庄駅の横を通過する。この南新庄駅は奥羽本線と並行して設けられている駅なのだが、奥羽本線側には駅が無い。この駅が開業するまではこの付近に信号場があり、そこから陸羽東線が分岐していたという。

車窓両側には山並みと畑が広がる。このような風景を見ていると、いかにも山形の内陸部を走っているという感じがする。


Tendo Station
天童駅で下車。奥羽本線は何度も乗車しているが、この駅で降りるのは初めてだ。


Around Tendo Station
天童駅前。駅にはターミナルビルPALTEが併設されている。


Tendo Station
都市の規模に対して、かなり大きな建物だ。駅には天童市将棋資料館が併設されている。さて、ふらっと天童駅で降りたのであるが、天童市のどこをどう見ればよいのかよく分からなかった上、下調べもしてこなかったので、とりあえず天童公園に向かって街なかをぶらりと歩いてみることにする。曇り空だが気温はぽかぽかと暖かく、気持ちよい散策になりそうだ。


とりあえず道路の看板に沿って、天童公園・建勲神社方面へ向かって歩いてみる。このような四差路を見ると、いかにも本州の街なかを歩いているという感じがして面白い。

@ 建勲神社
@ Takeisao Shrine

Takeisao Shrine
天童公園方面へ向かう途中、途中に建勲(たけいさお)神社に立ち寄ってみる。天童織田藩の始祖信長公を祀っている。明治3年に織田家第12代の天童藩主・知事だった織田信敏がこの地に神社を創建したことに始まるという。


Memorial monument of Isabella Bird
天童公園の一角に「日本奥地紀行」の著者、イザベラ・バード(1831~1904)の記念碑が立っていた。イザベラ・バードは1878年(明治11年)に日本を訪問し、東京から北海道までの旅の記録として「日本奥地紀行」を著した。
特に山形県の風景を賞賛し、「東洋のアルカディア(理想郷)」と評した。山形県内は宇津峠→(羽前)小松→赤湯→上山→山形→天童→土生田(とちうだ・村山)→尾花沢→新庄→金山の順に訪れている。イザベラ・バードは天童にも立ち寄ったが、貸し座敷でない宿屋は全て養蚕のためにふさがっており、泊まることはできなかったという。

@ 愛宕神社 (天童城本丸跡)
@ Atago Shrine (Old Tendo Castle)

Old Tendo Castle and Atago Shrine
天童公園はかつての天童城跡を活用した公園で、公園全体が小高い山になっている。典型的な山城の跡で、山形随一の規模だという。天童公園の舞鶴山頂には天童城の主閣跡があるらしく、山の中の散策路を歩いていった。駅から約40分で舞鶴山の山頂に到着。

山頂には平らな空間が広がっていた。この平らな空間は天童城の主閣(本丸)があった当時の面影を残している。天童城は1584年に最上義光に攻められて落城し、城主の天童頼久は仙台藩に逃れた。しかし、この地では一体いくつの命が失われたのであろうか。


舞鶴山の山頂付近からは天童市街が見えた。


天童公園の人間将棋会場と天童市街。

@ 天童公園
@ Tendo Park

舞鶴山を下り、愛宕沼と天童温泉を眺める。


天童公園の人間将棋会場に行ってみる。今年の人間将棋は季節はずれの大雪のため、4月17日は屋内で開催されたというニュースを後日に聞いた。


人間将棋会場のそばに立つ将棋供養塔。


将棋供養塔の前から舞鶴山(旧天童城主閣)方面を振り返る。


天童公園の展望台にある大木。


Tendo Park Observatory
天童公園からは天童市街を一望。山形盆地の両側には山並みが広がる。山形にいることを実感できる眺望だ。






時刻は16時半近くになった。帰りは公園斜面の道をショートカットする。この斜面は独特の形状になっているが、これは天童城の土塁や段曲輪の名残らしい。


天童駅に向かって歩く。

舞鶴公園の展望台から約30分で天童駅に着いた。列車の待ち時間が20分ほどあったので、駅に併設されているターミナルビルPALTEの土産物店を覗いてみる。
ここの土産物店は品揃えが豊富で、特に生産量日本一の将棋駒は関連商品も含めて、相当の種類が取り揃えられていた。地元ならではの特産品をたくさん取り扱っていて、とても魅力的な土産物屋だった。
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